承認欲求はどこまでいくんだろう
人間には三大欲求がある。
食欲、睡眠、性欲の3つだ。
中には性欲じゃなくて排泄欲だとか呼吸欲とか言う人もいるみたいだけど、それってなんかアゲアシ取ってるみたいだよね。
(言われると確かにそうなんだけれど)
まあそれは今回どうでもよくて、
三大欲求が満たされ、最低限の生活が保証されたとき。
次に現れる欲求はなんだろうか。
あなた自身で少しだけ想像してみてほしいことがある。
「もし自分がニートになったら」こいつを想像してみてくれ。
なお、仕事はしなくても普通に暮らしていける所得があると仮定する。
家では三食食事が出て、やわなかなベッドがあり、好きな時に寝られてHなこともし放題だ。
映画、漫画、SNS、アプリ、ゲームなど娯楽も適当にあり特に不自由はない生活を送れている自分を想像してみて欲しい。
たのしくてたまらないだろう。
でもね、
最初は楽園のように思えていた生活も次第に慣れていく。
家にあるだいたいの娯楽も貪り尽くし、
現状でもう君を満足させるものはなくなってしまった。
さあ、君は何がしたい?
何もしない?
残念ながらそんなことができるのは一握りの超人だけだ。
俺も君も、普通の人間にはそんな退屈な毎日に耐えることなんてできねぇんだよ。
だから何かをせずにはいられないんだ、そしてその何かが君の次の欲求だ。
物欲、金銭欲、仕事欲、知識欲などいろいろあると思う。
でもたぶんほとんどの人に当てはまる欲求がある。
そう、承認欲求だ。
日本もずいぶん豊かになって、おそらく最低限の生活は誰でもできるような国になったと思うんだ。
だから俺達は新しい欲求が発生しやすくなった環境で生きているんだ。
Youtuberなんかはとってもいい例だと思う。
うまくすればもっとお金も稼げるし、仕事欲、承認欲求も満たすことができる。
だからYoutuberになったり、インターネットで配信したりするのはこの欲求を満たす上でとても理にかなっている行為だと思う。
ニート同然の俺がブログを書いているのだってそんな感じなんだから。
そしてここでタイトルに帰るんだが、この承認欲求には終わりがない。
食欲、睡眠欲、性欲これらはある一定のラインを超えると途端に必要がなくなる。
いつまでも食べ続けることや眠ること、ましてやオナニーし続けることなんて到底できない。
しかし、承認欲求などの高次的欲求には終わりがない。
称賛されればされるほどうれしいし、娯楽も金もあればあるほど良いに決まっているんだ。
当然、俺たちはこの無制限の欲求に応え続けていくことになる。
でもいつか気づいてしまう、自分が底なし沼にハマっていることに。
ここに踏み入れたが最期、気づいたとしてももうここから逃げることはもうできない。
脱出する手立てがないこともないが、普通の人には到底選ぶことができないものばっかりなんだよ。
頭上に垂れ下がっているロープは変な宗教や仏教、もしくはあの世につながっているだけのふざけたものなんだから。
このエンドレスゲームから降りたいという人にはそんな選択肢しかこの世には用意されていない。
それができない人はこの沼の中で一生もがき続けるしかないんだ。
でも、それでもいいじゃん。
人間なんてどこまでいっても愚かな存在でしかないんだし。
壺に穴が開いてることを知っていてもアホみたいに水を注ぎ続ければいいと思う。
この終わらない欲求に唯一抗えるとしたらそれはもう理性しかない。
理性で自分の壊れた欲求に歯止めをかけるぐらいしか俺には思いつかなかった。
もちろん理性より、欲求のほうが強いのであまり効果はないのかもしれないけど。
「足るを知る」
この言葉のように自分の欲求に蓋をすることができるように理性を鍛えていく。
凡人の俺にできるのはそんなところです。